韓国のソウル市に移住することになった1987年。
もちろん全く言葉がわからないし、友達もいない。
当時身体が強くなかった僕を父親は、
家【韓国記①(1987年のソウル市)参照】から徒歩10分程度の場所にあったテコンドー道場に放り込んだ。
テコンドー道場の名前は、
「グァンジャン チョンハプ チェユックァン(グァンジャン総合体育館)」
ビルの2階にあった道場で、窓の反対側は一面鏡張りだった。
訳もわからないところに連れてこられて、
訳もわからず目の前のお兄ちゃんの体操を真似から始まったテコンドー人生。
今はもうその道場は無くなってしまったが、
当時は月〜土曜日まで1時間の稽古があって、日曜日だけがお休み。
ただ、毎日激しい稽古があったのか?というとそんなことなくて、
週に1回くらいは球技で遊ぶ日があったかな。
道場後方に「更衣室」があってそこに棚があったんだけど、
そこに道着を置いて帰ることができるのは黒帯だけだった。
※基本的に子供達は家から道着で通う
道場で稽古の時間まで待機してると私服の人が来て更衣室に入っていく。
そして黒帯を締めて出てくるのが凄くカッコ良く見えたんだよね。
なので早く黒帯になりたくて、
昇段審査の帰り道の車の中で館長に「いつ黒帯くれるんですか?」と催促して爆笑された。
と言うのも、
昇級審査だと終わった直後に新しい帯を貰えるので、
昇段審査も同じだと思ったん訳です。
でも結局更衣室を使えるようになったのは2段になってからだったな、、、
そしてあの当時もピングレのバナナ牛乳が大好物だったなw
ポチップ