韓国記③(2度としたくない経験)

雑談

引越し当時の韓国は民主化運動真っ只中だったので、
ニュースではデモ隊が軍隊に「火炎瓶」を投げている様子が毎日のように流れていた。



そんな時代のソウル市生活だったが、
ある時父親が「大学の食堂に昼飯を食いに行こう」と提案してきたので母と3人で食べに行くことになった。


我が家が住んでいた所の裏手から大学の裏門に続く道があり、
徒歩5分くらいで大学に行くことができた。

門を出て右折すると裏手の通りに行くことができ、

左折して直進すると、大学の裏門に行くことができる。

今は裏門から入ったところに綺麗な建物がいっぱい並んでいるが、
僕が住んでいた当時は原っぱ(運動場?)で何もなかった。



その原っぱの奥側に建物があり、
原っぱは地元の子供達にとって格好の遊び場(虫取り場)だった。



食堂はプレートにおかずを入れていってもらう方式でワンコイン500ウォン

今の円換算だと54円くらい
激安w


ところがここで問題が発生。
美味しい食事をいただき、気分良く帰宅しようとしていたところ事件が起きたのだ。



先ほど紹介した裏門から帰ろうとしていたら、
裏門を出たところに軍人が並んでいる。



しかも、大砲まで持ってきている。


何が起こるのかわからない不安を抑えてビクビクしながら軍人の前を通ったわけだが、
僕たちがその軍人の前を通り終えようとした時、

ドガーン!!!!

なんと、軍人さん大砲を校舎に向けて打ちやがった!!

校舎を見ると校舎の屋上付近からパラパラと瓦礫を落ちていってる

そして学生たちが身を乗り出して軍隊に抗議をし始めた。

が、

どうも打ち込んだ弾は「催涙弾」のようで、
周辺は催涙ガスが充満

これはヤバいと思い急いで家に戻ることにしたのだが、


運悪く我が家は、

「風下」

「大学側の棟の最上階に住んでいた」

「窓が全開」だったので、

家の中が催涙ガスで充満で地獄

とにかく息ができなくてマジで死ぬかと思った。

おそらく当時の韓国で、
催涙ガスで死にかけた日本から来た小学生」なんてのは僕だけしかいないはず。

もう2度とあんな経験はしたくないw

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